hebiashi diary

てれび見の記録など。

おかえりモネ16週「若き者たち」78話

本記事は↓の続きです。

おかえりモネ16週「若き者たち」77話 - hebiashi diary

 

本編はもう90話まで進んでいて、なんで今更78話の振り返りをやっているのか?ということなんですけども…

そもそもはといえば、16週の菅波の挙動をうまくつかめていなくて。というか文脈を読めていなくてモヤモヤしてた、というか、なんとなく流されたまま見ちゃってたのね。そんなときに眺めてたTwitterタイムラインに流れてきたとあるツイートで「は!?そうなの??そうだったの?」って目から鱗がボロボロ落ちて手が震えるような事があって。自分がいかに漫然と見てたかと思うと後頭部を殴られたようなショックといっても過言ではないというか…だもんで、その観点から再度振り返りをしたら、まさにそうとしか読めなくて(もちろんいろんな読み方があって然るべきなんだけど)なんというか「悔しい…!自分で気付きたかった!」って思っちゃって。

もちろん気付かせてくれたかたを大尊敬、リスペクトしています!!

というわけで振り返りをしております。ふう。くそデカ感情かよ…。

本当にTwitterドラマ民の皆様の読みは毎日毎日深くてきめ細かくて読むだけで満足感たっぷりなのですよ。もれなく豆知識も付いてきますし!感情的な感想しか書けない自分が「んもーーー!!」って感じでお恥ずかしいのですけれども…。まあいいや…私そういう人だし仕方ないね…お脳の出来がね…フッ…

 

気を取り直して。(前文長すぎ)

 

汐見湯に戻った亮とモネ、やってきた三生と悠人とすーちゃんとみーちゃん、6人で話す回です。この78話はおかえりモネ全編の中でもとりわけ見応えのある回です。

「なんで地元で頑張ってるのが偉いみたいになるの?」「そういう空気があるからりょーちんこんなにしんどくなってるんじゃ…」と、東京へ出てきたすーちゃんならではの言葉が出ます。そうだよね。これは14週でも語られていた「故郷から離れること・故郷に残ること」のリフレインでもある。故郷が、災害などによって住めなくなるほど破壊されてしまった場合、そこを捨てて新天地を目指すか、それとも残って立ち直るか…という話でしたが、これは【家】というレベルでも同じことが言えていて、心のよりどころとしての家(故郷)が壊れてしまったときの選択肢の話なんだよね。

被災地でいちばん大変な思いをしたかもしれない当時中学生だった彼らにとって、島は大切な故郷であると同時に大きなトラウマの原因にもなってしまっているんだよね。だから気持ちが引き裂かれてしまう……。

「決めつけないで」島での暮らしが辛いだけだと決めつけないでほしいとみーちゃんは反論します。亮、うっすら目を覚ましてその声を聞いてる。島でのりょーちんは大人とも対等に渡り合ってかっこいいし、漁師という仕事が嫌いなわけじゃない。「そういう空気」に流されて漁師をやっているわけじゃないって言いたいっぽい。

でも、幼馴染仲間の中でも被災状況にはグラデーションがあって。家が無事だった者、家族が無事だった者、家業が大変だった者、そして家族を失った者……この細かい違いが、彼らから震災について語る言葉を奪っていたんだね。

自分の辛さを話すことは出来ても、相手がもっと酷い目に遭ってたら?自分の辛さのことなんて言い出せなくなる…。若い彼らの優しさが愛おしくなりますね。

 

モネの代わりにウエザーエキスパーツ社に鮫島さんのデータを届けに来ていた菅波先生。莉子にモネとの関係を聞かれあたふたする菅波。いやー、そりゃあね?だってね?まだ蕎麦屋にしか行ってないもんね?だよね?父親と祖父と妹に面通し済みとはいえね?今日『サメ展』デートのはずだったのに予定なくなっちゃったからね?それは答えにくいでしょうよ…あわてて帰ろうとする菅波だけどそこへコーヒー持ってきた野坂さんGJです!これを断れる菅波じゃないw

「で、永浦さんとはいつから?」おーおーつっこんできますね莉子さん。野坂さん「えっそうなの!?」内田くん「あーやっぱねーーー!」反応が乙女な内田くんw

登米にいたころからですか?と内田くんに問われて「登米にいたころは…全然です」って答える菅波。そこに恋愛的な感情は無くても…強いて言えば師弟愛はありましたよね??ですよね??

野坂さんにもお似合いだと言われて「いや、まだ」って言う菅波…そりゃそうでしょうよ、だってまだ蕎麦屋にしか(以下略

今日の約束の相手がモネだと知った莉子が「永浦さんは詰めが甘い」というと「今日はしょうがないです…」と返す菅波。島の幼馴染に何かあったみたいで、と、モネが気仙沼の出身だったことに思いを致す一同。

汐見湯で話す幼馴染s。みな、新しく知り合った人には気仙沼出身だと言わない(言えない)し、家族でもあの時のことは言えないっていう。気を遣われることに気が引ける。

本作では「WE社内での会話」と「汐見湯での会話」を行き来して、同じテーマについて違う視点から語るシーンが割と多い気がしています。

再びWE社内。野坂さんも自分は阪神淡路大震災の被災者であったことを明かす。自分からは言わない、他人も敢えて聞くわけにもいかない、と。ここで莉子が「自分はこれまでただハッピーに生きてきたので人に何か伝えることができるのか」というけど、これは後日のエピソードの前振りになってますね。本作はほんと、こういう前振りの台詞を周到に用意してあるからねえ…ああそういえばこういうこと言ってたな、って、集中して見てないとね。それに対して内田くんは「生きてきた以上何もなかった人なんていない、自覚の有無にかかわらず誰だって痛みの経験はある」のように答えてくれる。

菅波も「言えないですしね…相手の方がつらいんじゃないかと思うと…」と返す。

 

皆の話を聞いていた亮が話に加わる。「重い話?」

話を逸らそうとする三生に「話しても地獄、話さなくても地獄なんだよ」「俺が話したらみんな話せるようになるのかな」という亮。そして彼はすーちゃんと三生の手を取って「もうずっとこのまま、でも仕方ない」とやり切れない現実を諦めて受け入れるようなことを言って手を離してしまおうとする…その手をひしっと取り直した三生。そんなことはない、俺たちはそれに縛られ続けるのではなく未来に向かって進んでいけるのだと言う。三生の家は寺なのであの時もご遺体がたくさん運ばれてきて(その時は言えなかったけど)「怖かった」と告白する。昨日まで普通の中学生だった彼らだが、亮は「母親の死」で、三生は「たくさんのご遺体」で、それぞれ「死」というものに否応なく向き合わなくてなならなかったことが深い傷となっていたことが示される。だがもうそれは乗り越えなくてはならないものだとわかっているのだ。わかってはいても、まだ時間はかかるかもしれない(三生が「あと3年は卒業できない」というのもそれだ)が…。

「おれら、もう普通に笑おうよ」という三生の言葉は、お互いの傷口を見せ合うことで、ようやく発せられた言葉なのかもしれない。

……上手く説明できなくてごめんなさい。でもこのシーン、何度見てももらい泣きしてしまうんですよね…。

 

それを受けて「やっぱ、食えばよかったな、オムライス。腹減った」と、絶望を覗き込んだその淵から生きる方へと歩き出す亮。

 

生きるのはお腹が空くんですよね。