hebiashi diary

てれび見の記録など。

正直言って。

自分の頭がバカすぎて耐えられない気分です。こんばんは。

刺激になるような文章を読んだりして、なんか頭に閃くとするでしょう?
その瞬間は「そっか、そういうことか!」っていきなり本質的な理解に結びついたり、直観的につかめたりしてるようなんだけど、いかんせん、すぐに忘れる…。
ライフハックの達人たちが「メモとれよ」「とにかく記録」って、異口同音に言ってるじゃない?それってまさにそのひらめきを逃がさないため、なのよね。そうに違いないとわかったのでとにかく記録しとく。
しかしながらメモ…とらないなぁ…
でも、頭に書いたメモは忘れるのよね。ほんと、忘れる。

エウレカったと思ったら、どんなくだらないことでもメモとってみようかしら。

そだ、さっそくひとつ。今日わかったこと。

「もやもやとした感情や概念を整理して言葉にできるのが知性」

内田樹さんの書かれた記事を読んで、あまりの理路整然に目から鱗が落ちるような思いをしたのよね。
日本の公教育は瀕死状態である、という話。なぜ瀕死かというと、いまは教育の効果が「共同体」でなく「個人」に還元されるようになったから。個人に還元された教育効果は個人の私財となって、税以外の形で公に還元されることは少ない、いまは還元できる場そのものも多分少なくなってる、のではないかな。聖職と言われる医者や教師のイメージもかつてのような神々しさを失いつつあるし。
それでもまだ小学校はきれいな言葉(教育理念というか、お題目というか、「みんな仲良く」「いじめはよくない」「がんばればできる」みたいなこと)を教師も児童も信じてるような気がするの。高学年になるとわからないけれど…教育の途中のどこかで、そのお題目には大きな欺瞞がある、ということを嗅ぎ取ってしまうのね。そういう道徳的徳目よりも経済合理性のほうが社会では有利にまかり通るということに。
しかしこれツラいのよねー。努力してもできないことはある、とか、みんな仲良くってそんなの無理、とか、いじめはよくないってわかってても巻き込まれるのが怖い、とか、正義(だと思うこと)を行使することは必ずしも(経済的、精神的に)合理的な結果にはならない、ってことを知ってて、親自身も見て見ぬふりをするようになっちゃっててさ…こんななのに偉そうなことは言えないなーって。