hebiashi diary

てれび見の記録など。

【ネタバレ注意】「怪物」観ました。

怪物見ました。ネタバレ注意です。

未見の方はすぐさまブラウザ閉じて映画館へGOしてください。(でも無理はしないでください。話題作だからといって無理はしないで欲しいです…)

 

はい。カンヌで賞獲った作品です。賞の情報だけでネタバレレベルだと感じたのでこれはもう早々に観に行くしかないと思い、台風2号の影響下にある雨の中、初日に観てきました。
それにしても今のメジャーな邦画界、助演系の俳優さんの弾数が限られているのか、本編開始前の予告で流れる宣伝に出てくる俳優さんたちがかぶりすぎていてびっくりしました。玉木宏さん映画のお仕事頑張ってるんですね!
えー、それはともかく、本編です。

実は昨日、Twitterで本作の感想をトークしているスペースを2つほど聞いたんですよ。明日菜子 (@asunako_9) / Twitter さんと三宅香帆 (@m3_myk) / Twitter さんのお二人が話されてるものと(こちらは今も聞けるのでリンクしておきます→ https://twitter.com/m3_myk/status/1666702712992583680?s=20 )、

ぬえ🦅 (@yosinotennin) / Twitter さんと あさひ (@asako0807) / Twitter さんによるスペースの後半(前半はペントレ見てたので聞けませんでした)の2本。

映画に限らず作品の感想を語り合っているスペース聴くのって面白いですね。話を聞いているうちに作品の細かい点をいろいろ思い出してきたり、自分はこう考えたな、とかって解釈や感想を反芻したりして、より作品理解が深まる気がしました。スペース開いてくださった方に感謝です。

ここから先はネタバレにつき、鑑賞された方のみ続きをお読みください。ホント、絶対そうしてくださいね。それだけ、心からお願いいたします。

 

 

 

 

 

(ネタバレ除けスペースちょっと長めにとりました)

 

 

この2つのスペース、興味深かったのが、明日菜子さんと三宅さんのスペースの中心話題はエンディングの解釈で、ぬえさんとあさひさんのスペースは(後半しか聞けてないのですけど)主にラストに至るまでに積み重ねられた描写のしんどさの話で、話者によって興味の焦点が変わるんだなーってことですね。

ここからは本編の感想というか、主に明日菜子さんたちのスペースで語られてたことの感想になってしまうんですけど…

・脚本家と監督とPについて

坂元さんが書かれた脚本からかなり削った形で完成をみたらしい、ということがわかりました。ちなみに私は本編見ただけでシナリオブックは読んでいません。でもラストの解釈だけちょっと自信が無かったのでノベライズの最後ページだけチラ見してしまいました。ごめんなさい。映画の絵面以上の情報は書かれていなかったと思います。で、それらから得た感触から想像すると、観客に開いた形のラストにしたのは監督で、きっとPの方針だったんじゃないかな…というのも川村Pの嗅覚の鋭さについては氏が関係してる作品を見るといつも感心してしまうからです。諸手を挙げて支持はしないけど、とにかく売れることに関しての嗅覚はすごいPだと思っているのです。これは単なる妄想なので全然違ってたらごめんなさい。

・で、ラストどうなのよ

鑑賞後最初の印象としては、明らかに彼岸へかかる橋に向かって駆けていってるエンドだよなーって思ったんですよ。そして(鑑賞してる)自分は母親や教師のいる此岸=現実側の世界に取り残されてしまったな…この世は地獄だな…って。でもスペース聴いて考え直しました。まだ彼岸には辿り着いていないし橋もわたってない。まだ引き返せるぞって。もし母親と保利先生が間に合ったなら、そこからやり直せるのかな、やり直したら少しは明るいほうへ進めるのかもな?と。でも本編の情報からだけでは、私はそうは思えなかったかもです。
それと同時に、二人の生死は全く気にならなかったという明日菜子さんの感想もわかる気がするというか。ひとつ上の世界に進んだ(「(肉体的な)生まれ変わり」ではなく「(意識の変革という意味での)生まれ変わり」を迎えた)二人と、置いて行かれる我々、さああなたはどうしますか?明日からどう生きますか?という投げかけのような、ラストでいきなり抽象的な問題提起がなされた様な気にもなったので。抽象化がなされることで現実の軛をひょいと外し、芸術の階に足をかけたのでは?と。あえて明確な答えを出さない戦略が作品の文学性を高めていると感じました。

・それにしても

小学校でのいじめ描写がめちゃくちゃ残酷でしんどかったです。保利先生はいつも一足遅くて、彼が目にした情報だけで対処しがちなことから問題が拗れていくってのもむちゃくちゃリアルで、本作の隅々まで行き渡る「”普通”であれ」という有言&無言な圧力の重苦しさに胸が潰れる気持ちになります。作品内の登場人物がおこなうような、大した悪意もなく、時には信念や善意から、また深慮遠謀するわけでもない軽々なふるまいの数々はまるで自分たちそのものの姿を見せつけられているようで苦々しかったです。いじめている子供たちも、きっと何かどこかに自分との違いを見つけてしまっていじめという行為に及んでいるのだろうな…そうさせてしまうほどの「”普通”であれ」という無意識での縛りが恐ろしい…。彼らを指導する立場なのが、事なかれ主義の管理職に折られ続ける保利先生だというのも、いじめがいじめを生む構図のように見えて冷え冷えとした気持ちになります。そこに悪意があるわけじゃないのがかえって怖い。

・俳優さんたちは全員すごい…
これはもう、本当に。坂元作品常連の永山瑛太さん・田中裕子さんと是枝作品が印象的な安藤サクラさんですもんね。(安藤さんは坂元作品のドラマ「それでも、生きてゆく」にキーパーソンとして出演されていましたね)文句の付けようがございません。メインキャストの子役さんお二人はもう本当に素晴らしくて。(でも子役時代にスポットライトを浴びてしまうとこの先がどうなるか心配になってしまうのよね…)

・作品の構成はお見事!

最初、小学生の息子が教師にいじめられている、と学校に乗り込む母親中心に話は進み、次の段では息子をいじめたとされる教師・保利の視点での話になり、子供たちの視点からも再度語りなおされることで、一連の事柄が立体的に浮かび上がる構造になっています。「真実はそれを見てる人の数だけ存在する」を具現化したような、芥川の「藪の中」(映画だと黒澤明羅生門」ですかね)みたいな構成です。

最初は「教師としてちょっとどうよ?」みたいに見えた保利の対応も、保利視点だと至極真っ当というか、多少の癖はあるけどそれほど奇矯な人物というわけでもない(当然少年をいじめてもいない)ということがわかる。異常に見えた行動にも理由があることが示される。

こうやって、物語の奥へ奥へと薄皮を剥ぐように進んでいくのは上質なミステリを見ているようでもあるわけです。……なるほど、うーん、そうか。だからラストの賛否両論が出てしまうんだな。ミステリベースで観すすめていた人にとっては不完全燃焼なラストに思えてしまうってことなのかも?と今思いました。

 

とりあえず、ここまで。

また何かあったら書きたいと思います。