hebiashi diary

てれび見の記録など。

ユダヤ人のごとく?

ここんとこグローバル化と教育の問題について記事を読んだりツイートのやり取りをしたりしてたんですけど、今日、ツイ友(リアル友でもあります)さんから次のような内容のリプライをもらったんです。

グローバルで戦える人って放っておいても出て行くから、公教育の目的を公への貢献に戻してもいいと思ったり。今なら日本って韓国よりは人口・社会資本の蓄積が残ってるし、大金持ちになるより食えたら程々がいいの民族性だし。問題はあまりもう時間がない事・・

これ読んでまず連想したのが小松左京の「日本沈没」と小松左京谷甲州日本沈没第二部」。日本がなくなって、ユダヤ民族のように世界各地に散らばっていくという筋なんだけど、さて実際問題、グローバルで戦える人が日本から外に出ていった場合、彼らを日本に結びつける縁となるものって存在するのだろうか?戦える人が出て行ったら残されるのは戦えない人でしょ。そうなると外貨入りにくくなるよね。となると、できれば、出てった人からも外貨が流れてくるようなシステムにしておきたいって考えたりしないですかね。で、そうなったときに外にいる彼らが日本に愛情とお金を注ぎ続けてくれるもんなんだろうか?
ユダヤ民族には宗教という大きな紐帯がありますよね。だから、歴史の流れで世界中に散らばることになっても宗教とそれに伴う文化は受け継がれていってる。かたや日本はどうだろう?外から入るものは受け入れて混淆していくのが得意な国民性だけれど、外に出た場合に、受け継いでいけるものがあるのかな…

あともう一つ。そうなった場合に日本に彼らの戦果を還流するためには、彼らが余暇や老後はぜひ日本で過ごしたい!って思うことじゃないかな?って考えました。今は海外からの旅行者にお金を落としてもらおうとしてるけど、グローバル化で海外を拠点にする日本人が増えたら彼らはちょうど外国からの旅行者と同じ立場になるのかなって。そう考えると「おもてなし文化の時代」とか「観光立国」とかいってるのも実は核心を突いたアイディアなのかも。
そういう国であるためには、そこにこそ公教育が生きるんじゃないでしょうかね。犯罪が少なくて安心安全で街並みは清潔。国民性は穏やかで親切。ごはんは美味しいし、たいていのものは用意されてる。なんかそう考えるととても豊かな気持ちになってきますよ。
「清貧」って言葉があるけど、これからは清く豊かであること=「清豊」を目指してもいいんじゃないかな。