hebiashi diary

てれび見の記録など。

■今日は朝から町内の草むしり。
…だったので、デジモンマイメロはチェックできず。まあ両方ともシリーズもので、デジモンはこれまでもチェックしてなかったので、このまま見ずに切ります。マイメロも前シリーズ同様、子どもが見れば見る、という方針で。
牙は一応録画したので、#2までには見るつもり。
エウレカもこれから見まーす。


■見た。
交響詩篇エウレカセブン#49 ★★☆
交響詩篇エウレカセブン#50(最終回) ★★★

はい。うん、これ、1時間かけてやる必要あったね。最終回だけ独立させてたら、なんか少し間抜けになるところだったかも…なのでこの編成で大正解だったと思います。
はー、それにしても、終わっちったな〜〜。
卒業で、新生活のスタートで、桜のシーズンに相応しい幕切れになりましたね。OP曲が変わったとき「何で桜?」と思ったんだけど、終了時期を考えればすぐにわかることだった(笑い。
「古い衣を脱ぎ捨てて、頭を切り替えて、みんな新しい一歩を踏み出そうよ!」
というのが、本作最終回から受け取った一番のメッセージ。卒業式のはなむけの言葉みたいな、そんな感じだけど、一年間かけてレントンも(そして若い視聴者のひとも、おそらく)いろんなことを学んで、いろんな人と出会って別れて、かけがえのないものも手に入れて、見事に巣立っていったよなあ…という感じです。母さん、嬉しいわー。
ニルヴァーシュが女声だったのにはへえ!と思ったけど、ちょっと納得。本作には影も形も話題すら出てこなかった母親(的存在)は、実はこんなところにいたんですね。
とにもかくにも、一年間つきあってきて、よかったと思いました。満足のいく最終回でした。
さーて、私も心機一転、新しい気持ちでrestart、です。


エウレカ最終回感想巡りのなかから。
特にハッとする視点を持ったもの3つ。
じゅじゅるさん。の「父親探し」論。説得力あります。

父親を求めながら、その父親はこの世のどこにもいないと絶望寸前だったレントンを救ったのはエウレカの子供たちであり、自らが父親になることで父親の呪縛から解き放たれる物語、だったのではないでしょうか。父親からの卒業。父性がないがしろにされつつある現代日本のカウンターとしては十分に成立していたと思います。


三和土さんBLOG@NO/ONアメリカナイズ話。これも見事にはまる暗喩。

そんでさ、デューイが自決する時にこぼすじゃない。スカブにこうまで蹂躙されてるのに生きててもしゃーないじゃーんって。ここでハッと気付いたんだけど、つまりこのアニメって、アメリカナイズされた日本を暗喩した世界観を持たされていたんだなって。戦争に負けて占領期を経たあとのこの国の文化って、まあごった煮とでもいうしかない面があるわけで。


蒼穹のぺうげおっとのこちらの記事も。聞きなおしてみたら、確かにそういう感じの音です。

ここで気が付いた方がいらっしゃるだろうか?
ここまで真・ニルヴァーシュが登場してからコクピットが映るとき、かすかに聞こえる音に。
これはイヤホンをしていないと気が付きづらいのだけれども、かすかに聞こえるのです。

親になったことがある人ならあるいは知っているかもしれない音。

あれは胎児の心音、胎動の音を非常にスローにした音だよ。
少なくとも僕にはそう聞こえたんだ。

こちらでは#1〜#3の話も出ていたのですが、ちょうど再放送も始まることだし見てみようかなと思います。