hebiashi diary

てれび見の記録など。

『ちむどんどん』完走しました。

2022年上期NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』が本日無事に最終回を迎えました。

 

思えば、開始早々Twitter上に通称「反省会タグ」といわれるタグが姿を現し、ひどいバッシングが展開されネットでも話題になりました。……そう、朝ドラ放送時に近年通例となっている光景です。制作者ではないと思われる複数のTwitterアカウントが「(作品名)反省会」というタグをつけ、作品の批判を行うのです。制作者でもないのになぜ反省会なのか、要は「自分の気に入らない作品に反省を迫る」という意味なのですよね。同じタグを使うことで本作に対する批判は大きなうねりとなってTwitterの海は大荒れ。普段ならいろいろツッコミながら気楽に見たいところがそうもいかなくなってしまいました。「このツッコミは果たして批判になってしまうか?」「万が一、スタッフや出演者の目に触れてしまうことで彼らを必要以上に傷つけたりすることはないか?」と、自分の発言にブレーキをかけるようになってしまい、ポジティブな意見しか上げられなくなった……

作品そのものの感想より、作品自体を取り巻く環境に焦点が当たってしまい、私もその影響を大いに受けてしまったということで、Twitterでの振舞い方を見直すきっかけにもなりました。

 

さて。

『ちむどんどん』無事、完走することができました。

いかにもド定番なすべり出しの朝ドラ、というのが始まった当初の印象でした。朝ドラでは貧しい生まれの主人公が描かれることも多いですけど、本作もなかなか金銭的には恵まれていない家族の様子が様々な小道具を通して描かれていたように思います。食べることに関してはほぼ自給自足、優しい両親のもとでのびのびと育つ4きょうだい。本役に変わる前の子役さんの週は沖縄のコントラストの強い日差しと色彩を背景に、どこかおとぎ話のような展開だったと記憶しています。そこから物語が急に暗転すると思われた父親の死、母子家庭にのしかかる借金を返すために昼は男に混ざって肉体労働、夜は内職をする母親と家事を分担する4きょうだい、という流れなのですが、意外なほどに明るく頑張る母親の様子に見ているこちらも「大丈夫かな…」と、なかなか物語に乗り切れなかったというのが実のところです。

その後、本役さんに変わってからもなかなか物語にうまく乗れずにいました。主に…ニーニーこと4きょうだいの長男・賢秀の引き起こすトラブルの数々と、それに振り回される家族という展開がなかなかにストレスフルで辛かった…(ていうかこの展開はこの後もずっと続くわけですが…)そんなわけでこの物語への「乗り方」をようやく会得したのは始まって2か月たったころでした。いやー、無茶苦茶時間かかったわ…。

 

ところで今これを書くに当たって公式サイトの2分動画をチェックしたんですけど、5週くらいまでにほぼ最終回に至る道筋がつけられていたことに改めて気づいた次第です。沖縄の一番星として華麗にリングデビューした賢秀が暢子に謝りたかった理由、これが最終盤になってその本当のところが明かされるわけですが、よほど注意深く物語を観察していないとこれはなかなか発見できない伏線の一つだよな…と。

最初はその所業によってなかなか受け入れがたかった賢秀ですが、いつの頃からか本作の主軸のひとつであるということがわかってきました。というか、本作では暢子が主人公とされていますが、実際のところは「比嘉ファミリー」が主役だったわけですね。そしてその一家の物語を通じて戦前から戦後に至る沖縄のすがたの一端を垣間見ることができたわけです。

私はこれまで沖縄に行く機会がなく、本やドラマなどのメディアを通じて知るのみでした。森山良子さんの「さとうきび畑」が小学校の給食の時間に流れたのが、私にとって多分一番最初の「沖縄」です。もちろん当時はその内容が全く分からずにいて、長じて沖縄戦のことを知り改めて詞の内容を噛みしめることになりました。その後もニライカナイやキジムナー、琉球王国沖縄戦など、断片的な情報は目にしていました。

今回この作品を完走したことで、それまでバラバラに入ってきていた沖縄に関する情報がようやく一つの形を成した気がするのです。はるか昔からある沖縄の信仰や家制度(トートーメ問題)、沖縄戦とその後の米国統治時代についてなど、本作での生活感を伴った描写(たとえばヒロインの子供時代に通貨としてドルが使われているなど)により沖縄に関する基本知識がくっきりと立ち上がってきたことによって、逆に自分が沖縄についてほとんど何も知らないということがはっきりとわかりました。

主人公・暢子の母、優子さんがあそこまで子どもたちの自由意思を尊重していた理由(戦争で家族を失ったつらい記憶)、妹の歌子が虚弱体質にもかかわらず病院通いをしていなかった理由(彼女にユタの素質があったと解釈すればそれもありえましょう。最終回できょうだいが父祖の霊に向かって叫び彼女の生を祈ることでおそらく歌子は「生まれ変わった」のではないかと想像します)、特異な登場人物まもるちゃんの秘密と、彼を共同体の中で生かし続けた包摂的な理想郷としてのやんばる、そのやんばるで育った比嘉家のきょうだいが自らと他者に向ける許容力の大きさ(この「許容力を自らにも向ける」という点が本作最大の引っ掛かりとなってしまい受容できない層が現れたのだと思います…自分を許すことを甘いと捉えてしまいがちだからね…世知辛い世の中だから…)

……などなど、こうやって俯瞰的にとらえてみると、本作はなかなかに魅力的で非常に見応えのある作品であったことは間違いないと思います。同じく沖縄を舞台にしていた『ちゅらさん』とはまた違った沖縄を見せてくれた『ちむどんどん』は、沖縄返還50周年にふさわしいドラマだったと言えましょう。